島根県海士町の取り組み「ないものはない」島で、文化を未来につなぐ
- 島根県海士町観光協会
- 会長
- 村尾茂樹
日本海に浮かぶ離島、島根県海士(あま)町。人口約2,300人のこの町は、決して大規模な観光地ではない。しかし近年、海士町「ないものはない」という大胆なメッセージとともに、独自の文化や暮らしを生かした観光で注目を集めている。インフラにおいても、「ないものはない」の哲学のもと、人口減少、高齢化といった離島ならではの課題に対応しつつ、豊かな自然(名水百選の湧水、豊かな海)を活かし、教育・医療・産業振興(隠岐島前高校を軸とした魅力化、半農半漁)で持続可能な地域づくりを進めており、交通インフラ(フェリー・高速船)や生活インフラも島外との繋がりを支える重要な要素として位置づけている。
そして、町の活性化に大きく貢献する観光。観光客による活性化ももちろん課題の一つであるが、その中心に立つのが、海士町観光協会会長であり、隠岐神社の禰宜でもある村尾茂樹(むらおしげき)氏だ。なぜ神社につとめながら観光協会の会長に就いたのか。海士町の観光は、どこへ向かおうとしているのか。島の歴史と現在、そして、地域通貨「ハーンPay」の導入による活性化を図りながら、観光客と地域の共生を目指す、そして未来への視点を聞いた。
──自己紹介をお願いします。
村尾氏:島根県海士町観光協会の会長を務めています。会長としては2年目で、一昨年の6月に役員会で会長に就任しました。本業としては、隠岐神社の禰宜を務めています。
また神社以外にも仕事を持っていて、町議も務めています。若い頃は、東京の國學院大学で神道のことを学び、卒業後は神社関係の仕事をしておりました。延べ20年の東京暮らし、そうした経験もあるので、島の内側の目線だけでなく、外からの視点でもこの町を見られる部分はあると思っています。ですので、集客するための施策、それを支えるITのチカラ、地元にお金を落とすための地域通貨のような新しいテクノロジーに対する抵抗はありませんし、むしろ必要だと感じます。

島根県海士町観光協会長 村尾氏
──神職でありながら、なぜ観光協会の会長に就任されたのですか?
村尾氏:観光の"入口"としてこの町を見たとき、隠岐神社が中心的な位置にある、というのが大きいですね。神社がただの施設ではなく、約800年前の鎌倉時代初め・承久の乱に関わる後鳥羽上皇ゆかりの歴史を持ち、そこに惹かれて来られる方が実際にいらっしゃる。また、神社の境内の維持管理や祭礼の継続は、文化を守る営みであると同時に、観光の土台にもなります。島の歴史や文化をこれから磨いていくなら、その中心地に関わる者として関与していく必要があると感じ、推薦もいただいて会長を引き受けました。
──海士町はどんな町ですか?
村尾氏:日本海に浮かぶ離島の町で、人口は2,300人ほどです。農林水産業がありながら、観光も主力産業の一つになっています。私たちの考え方としては、観光を単独の産業として切り離すのではなく、「観光を入口にして、農業や水産業の"ファン"を獲得していく」という捉え方です。来ていただいた方においしいものを食べてもらい、島の背景や暮らしに触れてもらうことで、一次産業も含めた島全体の価値を届けていきたいと思っています。
インフラ面においては、まず、水資源の豊かさがあります。日本名水百選「天川の水」をはじめ、豊富な湧水に恵まれ、生活用水や農業用水を支えています。また、交通インフラにおいては、本土(七類港・境港)と島の間を結ぶフェリー・高速船(「レインボージェット」など)が重要な生命線となっており、島内の移動は、車やバス、自転車が主で、公共交通機関が限られる中で、島民の生活を支えます。そして、生活・福祉インフラにおいては、人口減少・高齢化が進む中で、医療機関の確保や介護体制の整備が課題であり、町が主体的に取り組んでいます。当然、電気・ガス・水道などの基本的な生活インフラは、再エネの本格導入には至っていませんが、整備されており、離島特有の維持管理コストも存在します。
──海士町では、「島らしいDX」を目指しているとのこと、概要を教えてください。
村尾氏:これは、町の担当なので、私の領域ではありませんが、海士町役場を中心に、町全体のデジタル化のプロジェクトを展開しています。島の産業や事業を次の世代につなぎ、持続的に発展させていくためにも、AIをはじめとするIT技術の急速な進化に対応し、それに対して適切に向き合っていくことが重要なテーマであると考え、デジタル人材の活用・採用にも積極的です。
──観光地としての海士町の魅力を一言で表すと?
村尾氏:「ないものはない」という言葉に集約されると思います。これは解釈が人によって少し違うのですが、私の理解では、きらびやかなものは"ない"けれど、生きていくために必要なもの、そして来てから分かる豊かさは"すべてある"。"全くない"と"すべてがある"を掛け合わせたメッセージだと思っています。
──隠岐神社は、観光資源としてどのような存在ですか?
村尾氏:この町の観光の入口として、神社が中心にあると思っています。隠岐神社は、後鳥羽上皇ゆかりの地という歴史的背景があり、そこに惹かれて訪ねて来られる方がいる。神社は単に「見る場所」ではなく、境内の維持管理や祭礼の継続など"守り続けてきた文化"がある場所です。その積み重ね自体が島の価値であり、観光の基盤にもなります。年間1万5,000人くらいの参拝者がいます。はるか昔の離島ブームの頃は、島内を観光バスが何度も往復していたという話もありました。そういう意味では、観光客数が減っているのは間違いありません。今は「数を増やす」だけでなく、島の文化や歴史を磨いて、体験の質を高めていく方向に重心が移っています。同じ食事でも、背景にある文化が伝わると味わい方が変わる。そういう"文化を築く"ことが、これからの観光に必要だと思っています。

隠岐神社
──現在の観光客の特徴は?
村尾氏:団体旅行から、女子旅、さらに個人で申し込む体験旅行へと変化してきました。私の接する範囲では首都圏から来られる方も多い印象です。インバウンドも増えてきていますし、神社を訪れる外国人も肌感覚として増えています。ただ、インバウンド対応はまだ後手になっている面があります。日本の方なら後鳥羽上皇の歴史が入口になりますが、海外の方にはその説明が伝わりづらいこともある。神社とは何か、日本の伝統的な精神文化の中心的な施設として何をどう案内するか、そこは課題だと感じています。そして、お金を落とすための仕組みづくりも重要だと思います。
──この島で何故、地域通貨の導入に至ったのでしょうか?「ハーンPay」について、教えてください。
村尾氏:観光客を誘致したり、島にいらしてからの対応をスムーズにするためのIT化は着手していますが、私個人の感覚ではDXとまでは言えない気もします。ただ、先行しているのはこの地域通貨です。「ハーンPay」は、2025年1月から開始した島根県海士町で使われている電子型の地域通貨・キャッシュレス決済サービスです。町内の商店や観光施設など限られた場所で利用することができ、地域の中でお金を循環させることを目的として導入されました。

ハーンペイ
従来、地方では地域で得た収入が町外で消費されやすいという課題がありましたが、ハーンPayは「町内でしか使えない」仕組みにすることで、地域経済にお金をとどめる役割を果たしています。スマートフォンのアプリで利用することができ、小銭が不要になるなど利便性も高いです。もともとは紙の地域通貨として始まり、現在は電子化された形で運用されています。最近では、ふるさと納税や観光施策と連携し、観光客が町内を巡るきっかけづくりにも活用されており、海士町の産業と観光をつなぐ重要なツールとなっています。今では、海士町の74店舗で利用可能で、約2,200ものダウンロード数です(令和8年1月時点)。今は小売り業をメインに普及していますが、区費が払えたり、一次産業の事業者から仕入れをする際にハーンPayが使えたりするなど、活用できる場面を増やすようなことも今後検討していきたいですね。
──ハーンPayの「ハーン」とはどういう意味?
村尾氏:NHKの連続テレビ小説『ばけばけ』のモデルとなった主人公の夫パトリック・ラフカディオ・ハーン(日本名:小泉八雲)の「ハーン」から来ています。ハーンが隠岐に旅をした際、特に海士町での時間を楽しんだとされることから、地域の魅力を再発見にもつながってほしいという思いも込めてこの名前が付けられました。ドラマの舞台の一つが島根であるため、関連情報として話題になっています。このドラマの影響もあり、島根県への観光客数は増加傾向にあります。ドラマゆかりの地を巡る企画と連携して、対象スポットを回るとハーンPayでポイントが得られる仕組みもあり、ドラマの影響を受けています。
地域通貨「ハーンPay」という挑戦を果たした海士町。村尾氏も利用者で、「小銭がいらず、本当に便利」という。だが価値は利便性だけではない。「地方では、地域で稼いでも地域外で消費されがちです。ハーンPayは町内でしか使えないため、お金を地域にとどめ、循環させる役割を持っています」。さらに、ふるさと納税と組み合わせ、町に好意を寄せる人への還元策として活用する構想も進めているという。観光客の利用も増えており、ドラマゆかりの地を巡る企画と連携したポイント施策では、「QRコードを読めばいいんですよね」と訪ねてくる人も多い。ハーンPayは爆発的に人を呼ぶ仕組みではないが、わずか人口2300人足らずの島が一大発起して進めたプロジェクト。「島を知ってもらうきっかけ」となり、「町内循環を可視化するツール」として確かな役割を果たしているという。
村尾氏は海士町の未来についてこう語った。「交流は一定の成果が出ています。次に必要なのは、島の産業を"続く形"にすること。農業や漁業を生かしながら、暮らしと産業、観光が一体となって続いていく町をつくりたい」高付加価値化は簡単ではない。価格が日常から離れすぎれば、島の暮らしと切れてしまう。島の人が食べられる適正な価格を保ちつつ、観光としても魅力を伝える。そのバランスを、町全体で考えていく必要があるという。「ないものはない」。それは何もないという意味ではなく、ここに来て初めて気づく価値があるということだ。神社を守り続ける人物が、観光協会の会長として島の舵を取る。その姿は、海士町が"文化を未来につなぐ観光"へと歩み出していることを象徴している。
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